「ニーメラーでググレ」

 ニーメラーの詩の示す脅威を、判り易く噛み砕いて説明してくれている文章を、ネットにて見つけました。
 下に転載させて戴き、元の頁へのリンクを貼らせて戴きます。


 尚、私見ですが。
 石原氏の、過去の著作(「完全な遊戯」、「太陽の季節」、「処刑の部屋」、「聖餐」、或いは「スパルタ教育」や「真実の性教育」など、エロだったりグロだったり、性的情報が子供に有害だとする意見への反論を語ったり)と、それについての現在の氏の態度について、色々と言われております。
 私も、一再ならず皮肉りました。

 ですが、表現規制に反対する立場の人間が、到達すべき結論は。
 「だから石原氏はおかしい」ではありません。
 石原氏が、仮に、この先、自作を率先して否定し絶版としたら。
 或いは、彼の引退後、小説までも規制対象となる(そして、石原氏が、「表現の自由を守れ」とか絶叫し出す醜態を見物できる)状況に成ったら。

 表現規制に反対する立場としては、それで満足すべきかと言えば、勿論、そんなことはありません。

 故に、「そんな石原氏の作品の表現の自由を、それが直接、何らかの犯罪行為や、何らかの不当な権利侵害になっていない限り、擁護する」でなければならないのです。

 尚、「保守」とは、健全な現実主義なのだそうです。
 石原氏もその支持者も、一応「保守」の筈ですが、なら、経済とか景気とかの、圧倒的な「現実」を、無視しないで戴きたいですね(銀行破綻の件とか、交際費〔公費私的流用〕問題とかも)。



・【Hinabita's FanArt XXX Anime Gallery】
http://yu-hi.sakura.ne.jp/hinabita/

《性表現漫画以外はセーフだから反対するのはポルノ好きな異常者
一部はやりすぎであり規制されて当然、という声を良く見かけて
もちろんそういう声を上げている人が声が大きいだけのマイノリティであればいいのですが
本気で漫画表現のうち性表現だけが異常なのだから一部は規制されて当然と思っていて
自分たちが立っている側が使っている表現、たとえば暴力的、反社会的な表現は
大丈夫だと思っているなら相当危ういと思うのです

こういう線引きで妥協点だといって一部を差し出して自分の立っている側は安全だと思い込むのは
線引き自体がその時の情勢で簡単に移動することが想像出来ていないように思えて仕方ありません
世の中の趨勢が「漫画は公の秩序や道徳を乱す、低俗で必要ないから規制すべき」に傾いだら
漫画すべてが表現の一部として切り捨てられる事になる、というのを笑い話だと思いますか
世の中の趨勢を「国家が、権力が」に置き換えてみてください
漫画は世の中ですでに大きな勢力だから民主主義では簡単には切り捨てられないと思いますか?
今この瞬間はそうでしょうが性表現、殺人、暴力、賭博、飲酒喫煙、順番に切り崩していって
そういう表現が多く含まれてきた漫画フィクション愛好家は異常者という声の方が大きくなったら
また将来新しい表現が生まれて漫画が衰退していったときに、フィクション規制の一部として
既に古い漫画はフィクション規制の妥協点として表現全体を守るためだと差し出されたらどうしますか
世の趨勢で自分がマイノリティになって切り捨てられる側に回ったらどうしますか
ナチスの話はただ順番に規制されたという話ではなく大勢がナチ信奉者だったから起きたのです
気づいたら自分はナチ信奉者だから規制されない、と言う側に立っていませんか?

今回異議を唱えている漫画家や出版社は、恐らくポルノ表現そのものを守るためではなく
そういう一部の線引きをすることが全体の危険になる事を想像しているからだと思うのです
低俗に見える部分を引き合いに出してこれらは過剰だから規制されて当然とか
条例に反対する人間に対して極論、考えすぎ、過剰反応、妥協点や落し所を見出さない傲慢だとか
売り上げ優先の拝金業界だとかの論調をみて感化されてしまいそうになったら
自分がマイノリティ側になって妥協点として切り捨てられる時の事を想像して欲しいのです 》



・「こち亀両さん」普通の生活しか送れない? 漫画の性描写規制に漫画家や出版社大反対
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1444429&media_id=105