白黒は付けた方が良い。

 読売の記事は欠落しています。時事通信の記事で補完すると良いです。
 以下、重要な点。

・事件は大津波警報発令後
・大地震の際は高台にある同園に留まるとのマニュアルの存在と、その周知徹底や訓練が無かった由(この点の記述が、ネットでの読売の記事には無いです)



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111011-00000034-jij-soci
・幼稚園側、争う姿勢=「津波到達の予見不可能」―遺族「失われるはずのない命」
時事通信 10月11日(火)11時4分配信

東日本大震災で、宮城県石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児5人が死亡した事故で、5人のうち4人の遺族が同園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に、計約2億7000万円の損害賠償などを求めた訴訟の第1回口頭弁論が11日、仙台地裁(斉木教朗裁判長)であった。
 訴状によると、同園は3月11日の地震発生直後、大津波警報が発令されていたのに、情報収集や適切な判断を怠り、園児を乗せたバスを海側に向け出発させた。大地震の際は高台にある同園にとどまるとのマニュアルの周知徹底や訓練もしていなかったとされる。
 園側は答弁書で「大津波が発生し、市街地にまで到達することを具体的に予見することは不可能だった」として、争う姿勢を示した。
 原告側は意見陳述で「自力避難できない園児を預かる幼稚園の責任は重大。本来、津波で失われるはずのない命だった」と指摘。傍聴席からはすすり泣きの声が漏れた。》
 
追記。

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110327_20.htm
《幼稚園バスに津波 地震後発車、のまれる 石巻

春音ちゃんら5人が亡くなった現場に花をたむけに訪れた西城さん=石巻市門脇町

 焼け焦げ横倒しになったワゴン車に菓子や花が添えられていた。がれきと化した石巻市門脇町。地震後、園児を自宅に帰そうとした幼稚園の送迎バスが津波にのみ込まれ、五人の幼い命が奪われた。「高台にある幼稚園に残っていれば助かったのになぜ…」。遺族はやるせなさを募らせている。

 亡くなったのは、同市日和が丘4丁目の私立「日和幼稚園」に通う4〜6歳の男児1人、女児4人。
 斎藤紘一園長(66)らによると、11日の地震直後、亡くなった5人を含む12人を乗せワゴン車が園を出た。門脇町や南浜町方面に住む7人を門脇小で降ろした後、大津波警報に気づき園に引き返す途中、津波に巻き込まれた。
 園児は14日、変わり果てた姿でワゴン車の周囲で見つかった。保護者は<焼け残った衣服>などで子どもの身元を確認した。男性運転手は一命を取り留めた。同乗していた女性職員は今も行方不明。門脇小で降りた7人は無事が確認された。
 犠牲になった5人は大街道地区や蛇田地区に住んでいた。いつもは津波が直撃した南浜町、門脇町を通らないルートで送迎されていた。
 斎藤園長は「大きな地震が起きたら園にとどめるのが原則だ」としながらも「園庭に避難した子どもたちが不安がったり寒がったりしたので、親御さんの元に早く帰そうとした」とバスを動かした理由を語った。
 会社員の西城靖之さん(42)=同市大街道東1丁目=は次女の春音ちゃん(6)を失った。
 「子どもは大人を信じてバスに乗ったはず。それが地獄行きとは知らずに。誰かを責めても切なくなる。こういう悲劇があったことだけは記録に残し、教訓にしてほしい」(大友庸一) 》

http://www.kmk21.com/21/hisai
《 園児の乗ったバスに津波 (2011年3月23日 読売新聞より)

 東日本巨大地震による11日の大津波は、山元町と石巻市で3台の幼稚園バスをのみ込み、計12人の幼い命も奪った。ランドセルを手に小学校に行くのを心待ちにしていた女児もおり、目の前でおぼれる園児を助けられなかった職員は「手をつかめなかった……」と悲嘆する。22日、山元町の幼稚園バスで行方不明だった3人のうち2人の園児が遺体で新たに見つかり、亡くなった園児は7人となった。石巻市では津波後に起きた火災で園児を乗せたマイクロバスは焼けこげ、一面がれきの焼け野原の中に無残な姿をとどめる。(井上亜希子、雛谷優、古野誠)

 山元町の「ふじ幼稚園」で地震直後、職員が園内にいた3〜6歳の園児51人を送迎用バス2台にそれぞれ33人と18人に分けて乗せ、職員も数人ずつ乗って避難を始めた。その直後、津波が襲ってきた。

 鈴木信子園長(52)によると、園児33人を乗せたバスは津波で園のブロック塀に衝突、瞬く間に天井まで水が押し寄せた。職員5人が水の中から園児を引き出し、次々とバスの屋根に乗せた。おぼれている園児が多数おり、職員は何度も必死に手を差し伸べたが、園児が次々と犠牲になった。

 女性職員は「つかんであげられなかった手もあった。悔しくて悲しくて」と言葉を詰まらせた。

 卒園式を間近に控えていた女児(6)は、ランドセルを買ってもらい、小学校入学を楽しみにしていた。親族の男性は「覚えのいい賢い子で、弟の面倒見も良かった。信じられない」とぼう然とした。

 このバスでは依然として行方不明の園児がおり、職員たちが、流れ着いた木材やがれきなどをかき分けて捜索を続ける。

 また、もう1台の園児18人を乗せたバスは、数百メートル流された。職員2人が水につかりながら園児を近くの民家の2階に運んで助け出した。しかし、園児の救助で力尽きた女性職員は流され、死亡した。

 鈴木園長は「残った(行方不明の)子どもたちも、なんとか早く見つけてあげたい」と沈痛な面持ちで語った。
 石巻市の「日和(ひより)幼稚園」では、園児の送迎バスが津波にさらわれ、その後に起きた火災に巻き込まれ、4〜6歳の園児5人が死亡した。

 斎藤紘一園長(67)によると、送迎用のマイクロバスは午後2時51分にいつも園を出発するが、11日は地震の激しい揺れが収まるのを待って園児12人を乗せ、石巻湾近くの園児の自宅がある住宅街に向かった。
 途中で7人の園児を降ろした後、男性運転手(59)が津波に気付き、園児5人を乗せたまま高台にある幼稚園に引き返した。しかし、勢いを増して迫ってきた津波にのみ込まれた。さらに、近くのガソリンスタンドから漏れた油に引火した炎に包まれてしまった。
 水が引いたバスの中や近くから、園児5人の遺体が収容された。
男性運転手は津波の衝撃で意識を失い、気づいた時に建物の屋根にいて一命をとりとめたという。添乗員の運転手の妻(59)は行方不明となっている。
 斎藤園長は「みんな明るく元気で、笑顔の絶えないお子さんでした。非常に無念」と話した。
 がれきの中に横転したバスは焼き尽くされ、園児が座っていた小さな座席も焼け焦げて、鉄枠がむきだしになっていた。窓ガラスもなく大きくへこんだ車体が津波の衝撃の大きさを物語る。
 幼い命が奪われたことを悲しむ住民が、車内に花や水、チョコレートなどのお菓子を供える。園の職員たちは毎朝、線香を供え続けている。 》



津波で幼稚園児死亡訴訟、園側が争う姿勢示す
(読売新聞 - 10月11日 11:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1771846&media_id=20