南京虐殺

「無かった」とかの妄言を語る人が居ますが、然るべき言葉で検索すれば、そんなことは無さそうだと判ることですのにね。

史料収集をネット上に限っても、出典を明らかにした上でソース・史料を紹介してくれているウェブサイトが多く、助かります。

尚、当方の記述においては、上記の様な然るべき内容のウェブサイトであるなら、そこの紹介や、そのURLの貼り付けも、一種の孫引きとして、ソースの提示の一種に成り得るとの認識です。

この件で、最近、議論めいたことをしたのですが(当方の日記2009年3月26日「俺乙」と、下記のリンク先を乞御参照)。

http://mixi.jp/view_diary.pl?full=1&id=1112448706&owner_id=545566


先方が、物判りが悪いというか、話が通じなくて、困りましたよ。

例えば、「偕行社出版物で、虐殺を裏付ける証言が有ったのは初耳だ」とか。

そんな重要な史料を、自称では現物(「南京戦史」)を所有しているそうなのに、或いは、実は持っていないとしても、ネットで検索すれば幾らでも出てくるのに、そして一再ならず、それがソースである旨が指摘されているのにも拘らず、目を通しもせずに、執拗に否定意見を語り続けていたのか、貴方は。
そう罵りたくなりました。

わざと空惚けていたような気もしますが、ね。

まあ、現状では、もはや言うべき言葉も無くなった様で、ご苦労様なことでした。

香川照之が出演拒否?!間もなく公開の南京大虐殺映画2本が舌戦を展開―中国》
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=797669&media_id=31
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090403-00000013-rcdc-cn
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g30120.html


参考
南京事件日中戦争 小さな資料集》
http://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件 初歩の初歩』
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
南京事件FAQ》
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
南京事件(南京大虐殺)の真実》
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm
南京事件資料集》
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
(これらのウェブサイトにおいて、大半の論点について回答が行われ、そして然るべきソース・史料とその出典も、詳しく記載されています。また、それぞれでご紹介のリンク先もどうぞ)


「無かった」派の方への設問

1.「虐殺など無かった」と主張しておいでの方の一部が、以下の様な主張をされておいでです。
【問題になっている南京の件において、捕縛された後で殺された中国兵達は、あの折、兵士であるにも拘らず軍服を脱いでいたから、国際法違反の「便衣兵」或いは「違法戦闘員」であり、よって《捕虜》資格は無く、無裁判の殺害は合法であるのは常識なので、「虐殺」呼ばわりされる筋合いは無い】

この理屈はですね。
要は、後付の世迷い事と思われます。
例えば、極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)や南京軍事法廷でも、被告やその弁護側は、そんな主張はしていません。
本当に当時の「常識」なら、弁護の為にも、当然、言及している筈ですよねえ。

もし、推してこれを主張されたいならば、まず、「日本軍の兵士に殺された人たちは、中国兵が軍服を脱いでいたのである」件が事実であることが、意見の大前提として必要になります。
その立証と、然るべき史料・ソースの提示を願います。

日本軍の当時の公的記録には、残っていない模様ですけどね。

尚、念の為。
この場合求めているのは、「当時の南京の『安全区』に、中国兵が軍服を脱いで潜伏していた事」の立証ではありません。

2.当時、中国軍には、軍服を着たまま投降し、つまり国際法上正式な「捕虜」になった人達が居たことが、そして捕虜(俘虜)が殺された事、またはそれを指図する命令が出ていた事が、複数の史料によって確認出来ますが(上記ウェブサイトほか参照、特に偕行社出版物での旧日本軍兵士の証言や、南京攻略戦・南京事件に第16師団長として関わった中島今朝吾の日記、「岡村寧次大将陣中感想録」〔靖国楷行文庫所蔵「岡村寧次大将回想録」に収録、「現代歴史学南京事件」〈柏書房笠原十九司氏・吉田裕氏編著〉にて引用有り〕、軍の公文書である「戦闘詳報」など)、その件に付いて、如何お考えになりますか?

尚、当時の日本は、ハーグ陸戦条約を批准しております。

そして、「無かった」派の方がしばしば引用される、場合によっては捕虜殺害を容認する「戦数」という学説と、日本においてそれを唱えた国際法学者の信夫淳平氏の存在が有りますが、信夫氏も、この適用を無条件で認めていた訳ではありません(「事実之を殺す以外に軍の安全を期するに於て絶対に他途なしというが如き場合には、勿論之を非とすべき理由は無いのである。」「要するに以上の如き特殊の場合は別とし、一般原則としては、俘虜は人道を以て取扱うべきが本体で」〜信夫淳夫氏『戦時国際法講義』第二巻より。「南京戦史資料集」P782-P784にて引用)。
当時の日本もまた、「戦数」を、一応は公式には否定していたことが、史料によって確認できます(「戦時国際法規綱要」海軍大臣官房 1937年)。

参考
南京事件日中戦争 小さな資料集 東中野氏「再現南京戦」(1)》
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen1.html
《戦史研究所 戦数説2》
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/sensu2.htm

ちなみに、信夫氏は、当時(昭和14年)、以下の様な文章を書かれておいでです(原文は、少し読みにくかったので、ポポイが改行致しました)。

「昭和十二年以降の支那事変は、
名は事変と云ひながら
実に於ては近代の大戦の一なりしことは
既に述べた如くで、
随って該戦役中の累次の会戦に於て
我軍の俘虜となりたる支那兵は、
蓋し移しき数に達したことと想像するが、
之に関する完全の公的資料は
本講執筆の際までには之を閲するを得なかったので、
その俘虜状況に関しては
之を記述する能はざるを遺憾とする。」
(「南京戦史資料集」 P784)

皇軍は対支戦に於ても
俘虜の取扱に関し
如何に国際法則の遵由に忠実なるかを
講者は全世界に紹介せんと欲し、
必要なる資料を獲んと努めぬではなかったが、
事実全然之を入手するに由なく、
又新聞紙の報道記事とても、
稀に捕虜の支那将兵皇軍礼讃の談片を掲ぐる以外に、
凡そ俘虜に関しては殆ど伝ふる所ありしを見ない。」
(「南京戦史資料集」P786-787)

参考
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen1.html

信夫先生の期待は、何故裏切られてしまったのでしょうね。 



後記

参考のリンク先を追加致します。

《Apes! Not Monkeys! はてな別館》
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
《クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)》
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/
《模型とキャラ弁の日記》
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/

コメント欄の議論や質疑応答や、一部のマヌケの自爆ぶり(ワライ)も、参考になります。

「無かった」とかの妄言を語る人が居ますが、然るべき言葉で検索すれば、そんなことは無さそうだと判ることですのにね。

史料収集をネット上に限っても、出典を明らかにした上でソース・史料を紹介してくれているウェブサイトが多く、助かります。

尚、当方の記述においては、上記の様な然るべき内容のウェブサイトであるなら、そこの紹介や、そのURLの貼り付けも、一種の孫引きとして、ソースの提示の一種に成り得るとの認識です。

この件で、最近、議論めいたことをしたのですが(当方の日記2009年3月26日「俺乙」と、下記のリンク先を乞御参照)。

http://mixi.jp/view_diary.pl?full=1&id=1112448706&owner_id=545566

先方が、物判りが悪いというか、話が通じなくて、困りましたよ。

例えば、「偕行社出版物で、虐殺を裏付ける証言が有ったのは初耳だ」とか。

そんな重要な史料を、自称では現物(「南京戦史」)を所有しているそうなのに、或いは、実は持っていないとしても、ネットで検索すれば幾らでも出てくるのに、そして一再ならず、それがソースである旨が指摘されているのにも拘らず、目を通しもせずに、執拗に否定意見を語り続けていたのか、貴方は。
そう罵りたくなりました。

わざと空惚けていたような気もしますが、ね。

まあ、現状では、もはや言うべき言葉も無くなった様で、ご苦労様なことでした。

香川照之が出演拒否?!間もなく公開の南京大虐殺映画2本が舌戦を展開―中国》
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=797669&media_id=31

参考
南京事件日中戦争 小さな資料集》
http://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件 初歩の初歩』
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html
南京事件FAQ》
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
南京事件(南京大虐殺)の真実》
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm
南京事件資料集》
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
(これらのウェブサイトにおいて、大半の論点について回答が行われ、そして然るべきソース・史料とその出典も、詳しく記載されています。また、それぞれでご紹介のリンク先もどうぞ)


「無かった」派の方への設問

1.「虐殺など無かった」と主張しておいでの方の一部が、以下の様な主張をされておいでです。
【問題になっている南京の件において、捕縛された後で殺された中国兵達は、あの折、兵士であるにも拘らず軍服を脱いでいたから、国際法違反の「便衣兵」或いは「違法戦闘員」であり、よって《捕虜》資格は無く、無裁判の殺害は合法であるのは常識なので、「虐殺」呼ばわりされる筋合いは無い】

この理屈はですね。
要は、後付の世迷い事と思われます。
例えば、極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)や南京軍事法廷でも、被告やその弁護側は、そんな主張はしていません。
本当に当時の「常識」なら、弁護の為にも、当然、言及している筈ですよねえ。

もし、推してこれを主張されたいならば、まず、「日本軍の兵士に殺された人たちは、中国兵が軍服を脱いでいたのである」件が事実であることが、意見の大前提として必要になります。
その立証と、然るべき史料・ソースの提示を願います。

日本軍の当時の公的記録には、残っていない模様ですけどね。

尚、念の為。
この場合求めているのは、「当時の南京の『安全区』に、中国兵が軍服を脱いで潜伏していた事」の立証ではありません。

2.当時、中国軍には、軍服を着たまま投降し、つまり国際法上正式な「捕虜」になった人達が居たことが、そして捕虜(俘虜)が殺された事、またはそれを指図する命令が出ていた事が、複数の史料によって確認出来ますが(上記ウェブサイトほか参照、特に偕行社出版物での旧日本軍兵士の証言や、南京攻略戦・南京事件に第16師団長として関わった中島今朝吾の日記、「岡村寧次大将陣中感想録」〔靖国楷行文庫所蔵「岡村寧次大将回想録」に収録、「現代歴史学南京事件」〈柏書房笠原十九司氏・吉田裕氏編著〉にて引用有り〕、軍の公文書である「戦闘詳報」など)、その件に付いて、如何お考えになりますか?

尚、当時の日本は、ハーグ陸戦条約を批准しております。

そして、「無かった」派の方がしばしば引用される、場合によっては捕虜殺害を容認する「戦数」という学説と、日本においてそれを唱えた国際法学者の信夫淳平氏の存在が有りますが、信夫氏も、この適用を無条件で認めていた訳ではありません(「事実之を殺す以外に軍の安全を期するに於て絶対に他途なしというが如き場合には、勿論之を非とすべき理由は無いのである。」「要するに以上の如き特殊の場合は別とし、一般原則としては、俘虜は人道を以て取扱うべきが本体で」〜信夫淳夫氏『戦時国際法講義』第二巻より。「南京戦史資料集」P782-P784にて引用)。
当時の日本もまた、「戦数」を、一応は公式には否定していたことが、史料によって確認できます(「戦時国際法規綱要」海軍大臣官房 1937年)。

参考
南京事件日中戦争 小さな資料集 東中野氏「再現南京戦」(1)》
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen1.html
《戦史研究所 戦数説2》
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/sensu2.htm

ちなみに、信夫氏は、当時(昭和14年)、以下の様な文章を書かれておいでです(原文は、少し読みにくかったので、ポポイが改行致しました)。

「昭和十二年以降の支那事変は、
名は事変と云ひながら
実に於ては近代の大戦の一なりしことは
既に述べた如くで、
随って該戦役中の累次の会戦に於て
我軍の俘虜となりたる支那兵は、
蓋し移しき数に達したことと想像するが、
之に関する完全の公的資料は
本講執筆の際までには之を閲するを得なかったので、
その俘虜状況に関しては
之を記述する能はざるを遺憾とする。」
(「南京戦史資料集」 P784)

皇軍は対支戦に於ても
俘虜の取扱に関し
如何に国際法則の遵由に忠実なるかを
講者は全世界に紹介せんと欲し、
必要なる資料を獲んと努めぬではなかったが、
事実全然之を入手するに由なく、
又新聞紙の報道記事とても、
稀に捕虜の支那将兵皇軍礼讃の談片を掲ぐる以外に、
凡そ俘虜に関しては殆ど伝ふる所ありしを見ない。」
(「南京戦史資料集」P786-787)

参考
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen1.html

信夫先生の期待は、何故裏切られてしまったのでしょうね。