政治家はまず政策。

 中立の筈の参院議長や味方の筈の与党要人の面々まで参加した、轟々たる人格批判(つーか中傷)、気色悪かったスねえ。

 菅首相、何はともあれ、お疲れ様でした。
 既得権益の軽視、自由な発想、頑強な粘り腰、これまでの首相達には見られない(笑)、素晴らしいものでした。
 あの非常事態の最中、もし、お行儀の良い調整型の政治家が首相だったらと思うと、背筋が寒くなります。

 ちなみに、朝鮮学校無償化(厳密には就学支援金給付)の件も、ルール的に、無問題です(あげない方がルール違反)。
 お金がちゃんと生徒の為に使われているかどうかのチェックも行われますから、朝鮮学校の金の流れのチェックが出来るという事でもあります。

参考
http://www.abenolaw.jp/izumi/journal/1072/


 論理的な考えが出来ない輩が多すぎるなあ。


 以下は毎日新聞より。

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メディア時評 2011-08-27
山田奨治

「姿勢」より「政策」チェックを

 メディアはこのところ、菅直人首相への批判の方向性を見失っていた。政策を検証する大切な役目を放棄していたと言ってよい。それは管首相の方針が、国民の少なからぬ意見を反映していたからだ。脱原発は言うまでもない。消費税率の引き上げにしても、それが避けて通れそうもないことを、国民の多くが感じ取っている。
 管首相の政治感覚は、市民運動家という異色の経歴を通して鍛え上げられたものだ。サイレントマジョリティーの声を拾う力は、最近のどの首相よりも優れていた。彼の政策は、国民の感覚に近いがために、それを批判することは政官財の旧態にすり寄ることになってしまう。そこで多くのメディアは、管首相の政策そのものではなく、政治姿勢や人格に批判を集中させた。辞任表明しながらもいつまでも辞めない、事前の調整もせずに思いつきで方針を乱発する、などなどだ。
 菅氏よりも前に首相を務めた3人の世襲議員のことを、「政権投げ出し」と多くのメディアは厳しく批判した。それならば、政権に執着し、驚異的な粘り腰を見せた管首相のことを評価しなくては矛盾する。
 宰相の役割は、国民のための政治の大方針を打ち出すことだ。思い切った方針を発表する前に、官僚や既得権益者に配慮した「事前の調整」が必須というのならば、報道姿勢そのものが疑われる。新しい方針を次々と出すことが、首相の政治への「積極性」ではなく「乱発」と負の評価をすることの正当性も、メディアの多くは説明していない。
 8月2日から毎日新聞で「菅流辞典」が掲載された。絶妙なネーミングが示すとおり、菅首相の政治姿勢に焦点を当てた企画だ。記事は首相の特徴的な行動を淡々とまとめたものだったが、見出しは「名誉欲・歴史にこだわる」「四面楚歌・安易な接近で墓穴」と、首相の政治姿勢への批判が強調されていた。
 メディアがはまり込んでいた状況が、ここによく現れていた。すなわち、政策ではなく政治姿勢に注目し、それに負のレッテルを貼ることによってしか、「権力の監視役」のポーズを見せられなかったことだ。
 菅首相の政策は、妥当なものだったのだろうか。メディアが彼の政治姿勢に気を取られ、政策チェックがおろそかになっている間に、いくつかの重要な法案が通った。それはまさに、メディアが菅首相の術中にはめられたとはいえないか。

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菅内閣、午前の閣議で総辞職
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1724421&media_id=2